2016年7月13日水曜日

その生き様を目撃せよ!スピーチに見る須田亜香里論


涙..涙の選抜落ちから1年、

我らが”だーすー”こと須田亜香里が、総選挙にて”神セブン”となって帰ってきた!



総選挙での須田ちゃんと言えば、13年に初選抜入りした時の


「瞳の中のセンター」というフレーズが評判になったことは



まだ記憶に新しいことでしょう。



確かにうまいフレーズだとは思ったが、その評判がある種の足かせとなり、彼女はもっともらしく「いいことを言おう」とやや勘違いするようになったと思う。


それが翌年にストレートに出て、空回りしてしまった結果


まとまりのないダラダラスピーチとなって、大不評を買うことになった。



そして選抜落ちとなった昨年は、その結果を受け止めきれないままの号泣スピーチ!



しかし、そのときの彼女は素の感情が爆発し、悔しさが言葉の端々からあふれ、どうしていいのか分からない、もどかしさがそのまんま出ていた。



僕は、これこそが須田亜香里だと思った。



かしこまった優等生的なスピーチなど、全く似合わない!

かっこ悪くても、感情を爆発させるような”らしさ”を見せてほしいのだ!



選挙後の写真撮影さえもボイコットするという前代未聞の醜態を見せた結果となったわけだが、たとえ無様でも、そのままをさらけだしたことで、そこからどう這い上がるのか
には自然と注目が集まることになる。





結果、彼女はそれまでの自分を追い込む努力型一辺倒とも言えるアイドル路線を一旦壊す決断をした。


ラジオなどでも情緒不安定さをそのままさらけだし、髪を染めて人間宣言をするなど(笑)方向性に試行錯誤の一年で世間的に大きな仕事こそなかったものの、そのジタバタする泥臭さが彼女らしさに繋がっており、うまく引き出されていたように思う。



要するに彼女は、生き様系の人だ。


時には七転八倒の醜態をさらしながらも、そこから這い上がろうとする生き様そのもので人に感動や情熱を伝えて行くタイプだ。




タイプ的には大物で言えば



プロレスラーなら、アントニオ猪木、大仁田厚、ミュージシャンなら、長渕剛などと通じるところがあると言ってよいだろう。


だから彼女は、カッコ悪ければ悪いほど、逆にそれがカッコ良さに繋がっていると思えるところがあるのだ。




今年は、やけに謙虚な姿勢で清々しさを感じさせてくれた。


去年の自分を振り返って「結果がすべて」に捕われていたと、その心境を吐露してくれた。


単純に今まで気付かなかったの?と思った人もいるかもしれないが



そこに彼女ならではの重みを感じることができる。


幼い頃から決して好きではなかったバレエを続けて全国トップクラスにまで登り詰めた彼女は残酷なまでに結果がすべての世界で生き抜いてきたのだ。



彼女はバレエで実践してきた方法論で、ところを変え”アイドル道”を邁進してきたのだ。



そのアスリート的な姿勢は非常にSKE的でもあり、個人的にも熱くなれるポイントなのだが、そのやり方が限界を迎え、より幅広い視野に立ち脱アイドル的な試行錯誤が行われたのがこの一年だったと言えるだろう。


過酷なアイドル道を自らに荷し、アスリート的なアプローチで突き進んだ先に待っていたのは、もう一回り大きな”タレント”としての須田亜香里に生まれ変わる為の大きな壁であった。


そう簡単に越えられる壁ではない。



でもファンは彼女の七転び八起きを見守りつつ確実にその先に光を見出している。「内面まで見て下さる」と言うように彼女のファンは全部ひっくるめて、その生き様ごと彼女に魅せられているのだろう。


単純に昨年の悔しさだけではない、強固な信頼関係あってこその、納得の神セブンであったと言えるだろう。


実際のスピーチでは、さすがに緊張は隠せない様子だったが変にハラハラさせられるようなところはなく

ありのままの自分をさらけ出しつつ、自分の言葉で語り、まとめるというキャプテンとして求められるところにも進歩が見受けられ、大いに評価されて良いスピーチであったと思う。


だが、あえて少しだけ注文をつけておきたい。



小器用にうまくしゃべり、まとめるだけでは須田ちゃんらしくない。まともにスピーチできないというイメージを覆したかったのはわかるが



過剰なほどエモーショナルな、感情に訴えるバタ臭さこそが

最も ”須田らしさのダシ” が出るポイントであることを忘れないでほしい!


”不器用で泥臭い生き様そのもの” こそが須田亜香里、最大の魅力なのである!!