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2017年9月30日土曜日

松井珠理奈、魂の決断〜ゆりあのAKB移籍、あの時何が起こっていたのか?②

念のため、これは僕の妄想です。というか状況からの推察ですね。



確かに珠理奈の決断によって、ゆりあに移籍のお鉢が回ってきた。でも、だからと言って
珠理奈のわがままで、ゆりあは犠牲者になったのだ。とはならないだろう。



仮にあのままゆりあがSKEにとどまったとしても、まだJRともに健在であった状況では、むしろ頭打ちの状態が続いていたであろうし、すでに女優志望という明確な目標があったのだから。



珠理奈にしても、むしろ個人的な芸能人としての将来を考えた場合は、依然として大手事務所の影響力が大きい芸能界において移籍の方がメリットは大きかったはずだ。




つまり



珠理奈はSKEへの愛とともに、”個人”より”公”を優先したのだ。



ヲタの中でも意見は分かれるかもしれない。席を譲るという意味で移籍すべきだったと思っていたヲタも一部でいるだろう。でも今にしてようやくセンターを小畑優奈に譲る形となったことを考えても、あの当時珠理奈がSKEを去ることは、やはり早すぎたように思う。



大局に立ち、SKEの顔として個人を乗り越え”本籍”をAKBに移すのではなく、あくまで栄に踏みとどまったという事実。




ここが松井珠理奈のターニングポイントと見て間違いない。




これが翌年松井玲奈卒業後の兼任解除の流れにつながっていることは言うまでもないだろう。




我々に見えないところでいろいろあったはずだ。





相当迷ったと思う、でも珠理奈はブレなかったのだ。




今までの幾千ものアイドル同様、東京に吸収されるのではなく、あくまで軸足を地元に置くという決断につながったのが、あのナゴドの「大声ダイヤモンド」だったのだ。



冷静に考えたらあの場面



なぜ”ソロ”での大声ダイヤモンドだったのだろうか?


オリジナルメンバーにこだわらなければフルメンバーでやることは難しくなかったはず。





やはり決定的にソロでやることに意味があったと考えるのが自然だと思う。


それがあの独唱前の不穏な空気の正体だ。




自らのデビュー曲でもある大声ダイヤモンドは

あくまで東京を本拠とするAKBの曲なのだ。








この、ある種の反逆はアイドルの歴史に残ると言って良いだろう。





俺たちの松井珠理奈は生まれも育ちもTHE東京の秋元康にNoを突き付けたのだ。







今、SKEは地元仕事や企業コラボがいつになく充実している。




あの時の珠理奈の”魂の決断”と、その後の苦境を支えてくれた幾多のメンバーの”汗と涙”があったればこそ、今SKEはかつての東京シフトではない、あくまで地元に軸足を置いた真の地方アイドルというスタイルを確立しつつあるのだ。

松井珠理奈、魂の決断〜ゆりあのAKB移籍、あの時何が起こっていたのか?


あの時何が起こっていたのか?



ゆりあの卒業を期に、あくまで僕の想像でしかないが当時の状況を改めて整理しておきたい。



2014年2月24日、グループ 史上最大規模の人事異動となったあの大組閣において、木崎ゆりあ(当時チームS)のAKB移籍が発表された。




遡ること数週間前の2月1日、2日。SKEは一つの到達点となったナゴヤドームにおいて念願のコンサートを開催している。




そこで何が起こっていたのか?今一度思い出していただきたい。祝祭であるはずのドーム会場全体が不穏な空気とともに、凍りついた瞬間があったことを。






そう



珠理奈が「大声ダイヤモンド」を独唱する前に、妙にあらたまった様子で語り出した、あの時だ。結局何も起こらなかったのだが、あのような雰囲気になったのは一体なぜなのだろうか?




ズバリ、珠理奈はあの時 秋元康から”AKBへの移籍” を打診されていたように思う。




兼任から移籍に移行するのはその後多々見られたケースだが、当時チームKと兼任状態にあった珠理奈もまた岐路に立たされていたのだろう。その年の大晦日に大島優子が卒業発表することにもつながっている。



秋元康からボールを渡されていたものの、それをこの会場で投げるかどうかは珠理奈次第。ややケースは異なるが前田敦子の卒業発表時と同じ状況だったのだ。



秋元康から「決断し、ここで発表するかどうかは君次第だがどうする?」というボールを渡された状態。




でなければ、説明がつかない。




ギリギリまで悩んだ珠理奈の逡巡が、あの独唱前の不穏な空気を作り出したのだ。





結局、紆余曲折の末、珠理奈の兼任が解除されたのは2015年の夏。




2012年、西武ドームでの兼任発表から始まっていた綱引きの帰結が兼任解除=SKEへの帰還であり、その後の所属事務所への移籍だろう。


当時、優子卒業を見据えた後釜のエースとして珠理奈のAKB入りが大手芸能事務所移籍のための条件だったとすれば、その後あれほど事務所移籍が遅れたことにも納得がいく。



芸能界での先を見据えた場合、SKEにいるよりAKBの方が何かと都合が良いし、これからの後輩への道筋にもなる。だが、珠理奈は栄にとどまることを決断した。




ではこの道筋をどうするのか?




珠理奈が移籍となった場合のセンター候補筆頭の一人で当時から女優志望であった木﨑ゆりあに、その白羽の矢が立ったのだ。




(つづく)

今、そこにあるマジ!<SKE48激励ブログ>: 松井珠理奈、魂の決断〜ゆりあのAKB移籍、あの時何が起こっていたのか?②

2017年9月29日金曜日

消せない炎にケジメをつけろ !! 帰ってきた木﨑ゆりあ!





「SKEだから、ゼロで踊ることに意味がある、そのことを身にしみて感じました。」



木﨑ゆりあは卒業セレモニーで心のどこかでくすぶっていた、その心情を素直に語ってくれた。


2014年2月、あの大組閣での発表を受けてAKBに移籍する前の当時の彼女には、もう少しでその頂にようやく手が届かんとする状況と自身の強いモチベーションがあった。


当時、SKEヲタの誰もが、センター候補筆頭を突然奪われるという暴挙とも言える事態に
なんとも言えぬ怒りを覚えたはずだ。彼女自身複雑な想いを抱えたままの移籍。あれから3年半、その胸の内の消せない炎ともいうべきあの時、もう一歩まで迫っていたセンターへの渇望は嘘ではなかった。



「ファンがもう一度見たい、戻ってきてくれと言うから納得してもらうために、というのは建前で、もう一度SKE48の木崎ゆりあとしてもう一度この劇場に、ゼロ番に立ちたいという想いがどこかに残っていた」




最後にこの劇場に帰ってきてくれた彼女はすっかり大人になっていた。



「SKEだから、ゼロで踊ることに意味がある」



あくまで自身の経験から語られた発言であろうが後輩にも大いに響くものがあったようだ。いちファンの僕としても感じるものがあった。それだけSKEのセンターは容易に掴み取ることはできない特別な重みがある。そこを目指して葛藤することは大いに意味のあることなのだ。



そんな風にも受け取れるような気がした。



そんな多面的に捉えられる発言を残してくれたゆりあって、おバカじゃなくて実は天才なんじゃないだろうか?正直この3年半、あまり彼女のことは追えていなかった。



消せない炎にケジメをつけるため戻ってきてくれたゆりあ。



移籍して、いろんな経験ができたことは決して無駄ではなかったことを感じさせてくれた、とってもゆりあピースな(・∀・>)ラスト公演でした!