「 私は4年間で本当にたくさんの人に出会って人の支えの大切さに気付くことが出来ました 」
ダンスメドレーを挟んで後半、
"不器用で臆病な主人公のもどかしい恋模様” が、せつなくも熱く綴られる「不器用太陽」へ続く中…挫折も多く味わったであろう、ゆめちのSKE人生の中で特に重くのしかかった「足のケガ」との戦いがオーバーラップする。
昨年9月、思わしくない状態のまま強行出演した結果、公演中に悪化、
悔しさのあまり涙…涙となった「不器用太陽」。
高校3年の夏、総選挙の結果を受け「卒業」の二文字が眼前に迫る中、その手先の器用さに反して、もどかしくも不器用な彼女の心模様。
なぜ、そこまでして…?
既に2014年から、その兆候は見られており、15年5月にはついに劇場公演を約2ヶ月間休演に追い込まれるに至る。
完治は難しい症状の中、なんとか復帰するも…だましだましの状態が続く。
そんな、時に心が折れそうな状況の中で、彼女を支えその視野を広げてくれた、ある恩人とも言える大先輩の姿があった。
宮澤佐江である。
ケガとの戦いは、48グループの歴史でもある。
佐江ちゃんの同期、梅田彩佳が長期離脱に追い込まれたことや、残念ながら卒業まで追い込まれることとなった柏木由紀の名ユニット曲「てもでもの涙」での相方、佐伯美香やSKE1期生の松下唯。常に腰爆弾を抱えていた松井玲奈など、挙げればキリがない。
そんな数々の仲間の葛藤を間近で見てきた彼女には、ある確信があった。かつて佐江ちゃんはAKB新聞誌上でこう語っている。
心の片隅で「卒業したい」と思ってる子がいたら、その言葉は弱音ではないのかなって、もう一度考えて欲しいです。このグループでできることはやったと思える日が来るまで、卒業を考えたらダメだって思う。
私は10年たって「佐江ちゃんお疲れ様でした」って自分に言えます。
前に出られなくて、卒業したいという人はいると思う。握手会もファンが来てくれなかったり、選抜に入れなくてやめようって子もいるかもしれないけど、例えば劇場公演で何を頑張ってるか、何が1番になれたか。私って何を頑張ったんだろう?とクエスチョンマークが1つでもあるなら、まだ「その時」じゃない。
おそらく、これに近い助言がゆめちにも届けられたことは想像に難くない。
ただでさえ考え込みやすい性格のゆめちにとって、太陽のように温かく包み込みながら、その視野を広げさせてくれた佐江ちゃんの存在は、とてつもなく大きいものだったに違いない。
偶然にも宮澤佐江卒業公演の翌日、4月1日のS公演でゆめちは当時の新曲「チキンLINE」のセンターに抜擢された。
「死ぬ気でやる!」
とまで言い放った彼女は、このチャンスを掴まんと佐江ちゃんへの万感の想いを込めて、ケガをものともしない鬼気迫る全開パフォーマンス!を見せてくれた。
ただ、その後しばらくして事件が起こる。
おそらく、当時の彼女の事情を把握していない関係者から研究生時代と比較されるかたちで、公演の辛口評価を受けてしまったのだ。
SKE48勝手にプロデューサー!(笑): まじめキャラ卒業宣言!逆襲の野口由芽!
おそらくこの頃だろうか?卒業前のラジオ出演で「今だから話せる」として明らかにされていた、ケガとの葛藤を誰にもぶつけられず一人で泣いていることの多かったという彼女がマネージャーに促され
「(足を)折れっていうんですか!!」
とまで、その心情をあらわにしたのは…。
壮絶なるマジで反抗する彼女の意地。
もちろん、誰も無理をしてケガの悪化など望んではいない。
こういうタイプは時に冷水をかけることも必要だろう。ただ、そこを乗り越えてでも体現したい、ゆめちなりのSKEの一員としての燃えさかる情熱を否定することもできない。
バレエ経験とパフォーマンスから入るファンの多い彼女ならではのプロ意識。かつて憧れたチームSの一員としての誇り、そこから来る「わたしを通して少しでもSKEの魅力を伝えたい!」という想い。
アイドルという、ある種の色眼鏡で見られがちなジャンルの中で”楽曲”の持つ魅力を自身を通して伝えたいという、元ファンでもある彼女のこだわり。
すべては やはり ”for the SKE48"
宮澤佐江だけではない。松村香織、加藤るみ、矢方美紀、宮前杏実などに導かれ、いつしか彼女は、傷つき葛藤するにつれ、より輝きを増し、”SKE魂” とも言える、その”熱きバトン”を受け継ぐ継承者となっていた。
「放課後レース」「チームS推し」「僕は知っている」
さらにクライマックスとなる卒業セレモニーに至るダブルアンコールへ!!
曲の盛り上がりに比例して、ファンの4年間の”限りなき想い”も加速していく!!!
(つづく)
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